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  • 執筆者の写真Nakamura Mineo

薬剤師のDNA、『薬舗主』とは

日本薬剤師のサイトでも紹介されていますが



医薬分業とも関係しています

医薬分業とは、薬の処方と調剤を分離し、それぞれを医師、薬剤師という専門家が分担して行うことを意味しています。 ヨーロッパでは800年近い歴史があり、神聖ローマ帝国のフリードリヒⅡ世(1194~1250年)が毒殺を怖れて、主治医の処方した薬を別の者にチェックさせたのが始まりと伝えられています。 1240年には5ヵ条の法律(薬剤師大憲章)を定め、医師が薬局をもつことを禁じました。これが医薬分業と薬剤師制度のルーツとされています。(患者の健康を守る為の治療において医師とのダブルチェックシステムです 薬剤師は医薬分業と切っても切り離せない職業なのです。


日本は明治時代から


わが国における医薬分業は、明治時代の初めにようやく始まります。当時最も進んでいたドイツの医療制度を輸入するため、明治政府はドイツ陸軍軍医少佐のL.ミュルレルら2人の医師を教師として招へいしました。ミュルレルは日本の医療のありさまを嘆いてこう記します。 「薬剤師を何と呼ぶかもわからず、調剤は無茶苦茶であった。棚の薬びんにはラベルがほとんどなく、貼ってあっても、書いてある薬品名はでたらめであった」 ミュルレルらは、医療は医師と薬剤師を両輪として成り立ち、薬学教育が急務であることを政府に強く進言しました。これを受けて、1874(明治7)年に制定された『医制』にはこう記載されています。 医師タル者ハ自ラ薬ヲ鬻(ヒサ)クコトヲ禁ス 医師ハ処方書ヲ病家ニ附与シ相当ノ診察料ヲ受クヘシ 調薬ハ薬舗主薬舗手代及ヒ薬舗見習ニ非サレハ之ヲ許サス 「処方書」は処方箋(しょほうせん)、「病家」は患者さんのことで、処方箋を出して診察料を受け取るという今日では当たり前の医師の姿が、あるべき姿として描かれています。 「薬舗主」は薬剤師で、1889(明治22)年の『薬律』制定とともに、本格的な薬事制度が導入され、薬局、薬剤師の呼称が用いられるようになります。


医師は医学の専門家であり、薬物療法を熟知している半面、複数の薬を服用した際の相互作用や用量を増やした際に起こる副作用等の安全性については、薬という化学物質に精通している薬剤師のようには詳しくありません。それでも、目の前の患者さんが複数の病気や症状に悩んでいれば、医師は3剤、4剤と処方する薬を増やして助けようとするのが道理です。また、明治時代の開業医が診察料よりも薬剤料で生業を立てていたことも、過剰投薬と薬害を助長する土壌となりました。


これからの薬剤師は、特に薬舗主の遺伝子(DNA)を持ち、資格(既得権・既得権益)にぶら下がることなく、知財で社会貢献できる能力(スキル)を持つことが大切に思っております。

 もちろん、患者さんや世界に対しての貢献です。



札幌市白石区南郷通7丁目北5-1

有限会社 中村薬局

認定薬剤師/臨床薬剤師/薬舗主  中村峰夫




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