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傷寒論解説(3)



長谷川 弥人  元慶応義塾大学医学部教授

序文(傷寒卒病論)

『傷寒論』の序文についてはいろいろな説があり、これは張仲景の文章ではないとして全然採用しない場合があります。それは中西深斎先生の『傷寒論弁正』、浅田宗伯先生の『傷寒論識』などです。  また序文の中頃に「天布五行」とありますが、その前までを本物、後半を後人のものと考える説もあります。たとえば熊本にいた村井琴山先生は、後半は後人の注釈であるといっておりますし、山田正珍先生も『傷寒論集成L で同じようなことをいっています。また『康平傷寒論』では後半を二字下げて書いており、やはり後人の追加という説に賛成のような気がします。『千金方』には、文章が少し異なりますが、前の方には「張仲景日く」と書いてあり、後半は同じような文章が引用されていますが、「張仲景日く」とはありません。そのようなことから、この説が妥当ではないかと考えます。 また全文を張仲景の序文であると考えている方があります。これは多紀元簡先生の『傷寒論輯義』、喜多村直寛先生の『傷寒論疏義』などです。これらの方々はいわゆる考証学派といいまして、軽々しく古文を刪定しないという立場にあって、このようになったのであろうと思います。いずれにしろ、古人はこの序文の文句をよく引用していますので、よく読んでおくことは重要だと思います。

それでは読んでいきます。 「余、越人の虢(かく)に入るの診、斉侯の色を望むを覧る毎に、未だかつて慨然としてその才の秀でたるを歎ぜずんばあらざるなり」

 越人とは扁鵲のことで、『史記』「扁鵲列伝」に虢の太子が死んでいるのを生き返らせたという話が出ています。また斉の桓侯に「あなたは病気があるから」と申し上げたが、とりあげられず、その後再び遠くから桓侯の顔を望みみて逃げ出しました。なぜ逃げたか聞きますと、「私には治せない状態になった」といったという話があります。これらのことをみると、扁鵲の才能は非常に優れていることを、慨然として賛嘆せざるを得ないということです。

「怪しむ、当今居世の士、かつて神を医薬に留め、方術を精究し、上はもって君親の疾を療し、下はもって貧賎の厄を救い、中はもって保身長全、もってその生を養わず。」  慣習に従ってこのように読みましたが、日本語の場合は否定の文は最後に来るので、最後の語句のみを否定したように誤解されます。「不」の字義が後まで長く続くことは英文にはありますが、漢文でも時々あります。したがって日本の人に誤解されないように読むには、各々の句に否定をつけて読まなければなりません。また漢文では互文と称し、「天地長久」を「天長く地久し」と分けて書きます。ここでは、「医薬、方術を留神精究せず」ということを、このように分割して述べてあります。すなわち医学や薬学を精神を込めて勉強しな いということです。  したがって、上は君王や親の病気を治すことができないし、下は貧賎の人の病気を救うことができないし、自分自身の身の保全をはかつて、長生きすることができないとのことで、「不」が各句に跨がって続いていることに注意すべきだと思います。

「但栄勢を競逐し、権豪を企踵し、孜々汲々惟名利これ務む」。

 ただ栄勢、権豪を競逐、踵腫して、熱心にただ名利だけに努力しているということで、企踵とは踵を上げて遠くを望むということで、願望する意味に使われます。

「その末を崇飾し、その本を忽棄し、その外を華りてその内を悴れしむ。皮の存せざる、毛将安ぞ付かん」。  末端のことだけを貴び飾って、根本のことを粗末にし、外面を華やかにして内面の体の疲れることをしている。皮が存在しなければ毛がどうして付いていられょうかという意味です。 「怪」という字はここまでの語句についています。以上述べたことは、どうも理解できないといっているのです。日本語にはこのような文法がないので、注意しなければならないと思います。 「卒然として邪風の気に遭い、非常の疾に嬰る。思い及び禍い至つてはじめて震慄す。志を降し節を屈し、巫祝を欽望し、窮を告げ天に帰す」。 「方」は普通は「まさに」と読まれますが、ここでは「はじめて」と読みます。古い本の『詩経』や、古い辞典に、方という字を「はじめて」と読むことが記載されています。  にわかに邪風の気にあったり、常にない病気となって、禍いが至り及んで初めて体が震え恐れ、志望を低くして節操を曲げて祈祷師を敬い祈りをし、困窮を天に告げて哀れみを請うという状態になります。

「手を束ねて敗を受く、百年の寿命を賚つ至貴の重器を持して、凡医に委付し、その措くところに恣にす」。 どうすることもできなくて敗亡し、百年の寿命を持っている貴重な身体を、平凡な医者に任せて勝手に処置をさせる。 「賚」は「賷」と書くのが本当だそうで、音はセイで、持つという意味です。 「ああ、ああ、その身は斃れ、神明消滅し、変じて異物となる。重泉に幽潜し徒に啼泣をなす。痛ましきかな。挙世昏迷し、よく覚悟するなく、その命を惜しまず、かくのごとく生を軽んず。彼何ぞ栄勢とこれ云わんや」。 ああ、この身がすでに倒れれば精神が消滅して異物となり果て、冥途に行ってただ嘆くばかりになります。まことに痛嘆すべきことです。世の中の人が皆迷って、これを知る人がなく、また命を惜しみません。このように生命を軽んじているのに、どうして栄勢などといっていられますか。

「之云わんや」と、「之」が入ると意味を強めて、字の配列が逆になることは漢文の文法ですからご注意ください。

「而して進んでは人を愛し人を知る能わず。退いては身を愛し己を知る能わず。災いに遇い禍いに値い、身厄地に居て蒙々昧々、憃なること遊魂のごとし。哀しきかな。趨世の士、浮華に馳競して根本を固めず。軀を忘れ物に徇い、危うきこと氷谷のごとくここに至るなり」。  進んでは、すなわち積極的には人を愛し人を知ることをせず、消極的には自分の身体を愛し自己を知ることができません。災禍にあって困窮の状態になると、まったく愚昧で遊魂のようです。(「憃」はトウと読み、乱れる、愚かということです。悲しいことですが、時候に従って行動する人々は、浮華に馳せて根本を固めず、身体を忘れて物質に生命を捨てます。ちょうど氷の張りつめた谷を渡るように危険な状態です。 「而して」からここまでの文章は、前の文章と同じことを繰り返していますので、村井琴山先生は、これは後人の注釈であると述べていますし、山田正珍先生は『千金方』の文章を参考にして、「而して」以下の一部の句を前の文章中に挿入して刪定しています。それは『傷寒論集成』にみられます。こうすると、文章が調いまして格調のあるよい文章となります。刪定文については今回は省略します。

「余の宗族もとより多し、さきに二百を余す。建安紀年以来なお未だ十稔ならずして、その死亡するもの三分して二あり。傷寒は十のうちその七を占む」。  私(張仲景)は親戚がもともと多く、時には二OO名を越していました。しかるに建安の開元以来(年号が変わってから)その三分の二が死亡し、その七割が傷寒です。傷寒とは現在の腸チフスや、その類似疾患です。 「往昔の淪喪に感じ、横夭の救いがたきを傷む。すなわち勤めて古訓を求め、博く衆方を采り、『素問』九巻、『八十一難』、『陰陽大論』、『胎矑薬録』、並びに『平脈弁証』を撰用し、『傷寒雑病論』合わせて十六巻をつくる」。

 昔から死亡する人に心を痛め、横死、夭死を助けることができないことに心を痛めました。それでつとめて古訓を集めて広く衆方を採用し、『素問』、『八十一難』、そのほかの書を撰用して、『傷寒雑病論』合わせて十六巻を作ったということです。  『素問』、『難経八十一難』は今でもみられますが、その他の本は現在はみられません。村井琴山先生は、この書名のところは後人の注釈であって、ここは省いてもよろしいといっておられます。『康平傷寒論』では、これは嵌注としています。このようにして『傷寒論』十六巻を作ったということです。現在の『傷寒論』は十巻しかありません。残りの六巻は『金匱要略』の原本ではないかといわれています。 「未だことごとく諸病を癒すこと能わずといえども、庶わくは病を見て源を知ることを得ん。もし余の集むるところを尋ねれば、思い半ばに過ぎん」。  十分に諸病の治療を網羅していないが、病をみて源を知るということが期待できるのではないか。もし私が集めた本をみれば、予想以上のことを知るようになりましょう。 以上をまとめますと、「扁鵲の医学をみると驚嘆に値しますが、今の人は名利に奔走して生命を軽んじ、凡医に処置を任せて死んでいます。そのような状態は私の親戚も同様で、十年間に三分の二が死亡し、その七割が傷寒で死んでいます。そこで私は扁鵲の医術にあやかり、『傷寒論』を作りました」ということになります。ここまでが本当の序文であるというのが、山田正珍先生や村井琴山先生の説です。

「それ天は五行を布き、もって万類を運らし、人は五常を稟けて、もって五蔵を有す。経絡府兪、陰陽会通すること玄冥幽微にして変化極めがたし。才高く識妙に非ざるよりは、あに能くその理致を探らんや」。  そもそも天は五行、すなわち木・火・土・金・水の気を敷きしめて、多くの生物を成長、変化、あるいは製造しています。人は仁・義・礼・智・信の五常の気を天から受けついでそれが形に現れて五臓となっています。経絡は気血の運行する道、府は気府のことで気血の集合するところ、兪は気血の進むところで、これらがよく通じ合って陰陽の気が会合、通達しています。このことはまことに奥深く幽微であって、その変化を知ることはなかなかむずかしく、才識が高妙でなければその奥義を探れません。  ここでも才と識を分けて書いていますが、「天長地久」が「天地長久」であると同じ互文で、才識高妙のことです。  五常と五臓の関係が書いてありますが、この解釈はむずかしく、後漢の時代に書かれた『白虎通』という本に、肝臓は仁、肺臓は義、心臓は礼、腎臓は智、脾臓は信とあるそうで、このことをいっているのでしょう。ここの文章は漢時代の考え方が入っていると思います。

「上古に神農、黄帝、岐伯、伯高、雷公、少兪、少師、仲文あり。中世に長桑、扁鵲あり。漢に公乗、陽慶および倉公あり。これを下って以往未だこれを聞かず」。  大昔にも、中世、漢代にも医学の原理に通暁した有名な偉い人がいましたが、最近ではそのような名医は聞かれません。 岐伯以下の人は黄帝の臣下であるといわれています。仲文についての伝記はよくわかりません。長桑、扁鵲、陽慶、倉公は、『史記』の『扁鵲倉公伝』に載っています。

「今の医を観るに経旨を思求して、もってその知るところを演ずるを念わず。各々家技を承うけて終始旧に順い、疾を省み病を問い、務むること口給に在り。相対して斯須にすなわち湯薬を処す。寸を按じて尺に及ばず、手を握って足に及ばず、人迎、跗陽、三部参ぜず。動数発息、五十に満たず、短期は未だ決診するを知らず。九候かつて髣髴無く、明堂闕庭ことごとく見察せず、いわゆる管より窺うのみ」。  これは今の世の医者の状態を述べて批評しているわけです。経旨を研究していろいろなことを知ろうとしないし、家伝の方法のみに終始して発展がなく、病を問いかえりみるのに口先ばかりに努力し、患者に相対してすぐに湯薬を処方します。ここで「斯須」とは、すぐにという意味です。  寸脈はみるが尺脈はみない、手をみても足をみない。頸動脈の拍動や足背動脈の拍動はみても、尺・関・寸の三部の脈は参照にしません。脈拍数や呼吸をみるに、五十に満たないので死期が近いということもわかりません。九候すなわち、顔面、手、足それぞれ三つの診候はぼんやりとして、思い浮かぶことさえない。鼻や眉問、顔もよくみません。このようなことでは、管より天を窺うという古典の譬えのようなものです。

「それ死を視て生を別かたんと欲するは、実に難しとなす。孔子いわく、生まれながらにしてこれを知る者は上なり。学べばすなわちこれに亜ぐ、多聞博識は知の次なりと。余つとに方術を尚ぶ、請うこの語を事とせん」。  死人とみなされた虢太子を生かしたような診断をすることは、大変むずかしいことです。 孔子は、生まれながらに知っている人は上の部類で、学んでこれに及ぶものはこれに次ぎ、多聞博識はこれに次ぐといっておられます。私は多年医薬方術を尊崇しており、この孔子の言葉を心として、努めて勉励したいと思います。  この後半の文は、要するに医学は大変むずかしいけれど、今の医者は勉強していないし、診察は疎漏であって、ともに任せられない、孔子は、勉強しないでもできるというのは上であるが、次は学んでこれに及ぶもの、その次は広く知識を求めてこれに及ぶものであるといっていますが、私もかねてから医学を尊信していますので、この言葉を体してさらに前進したいし、読者もこの言葉を体得してほしいということです。  前半は一般の人が世事に名利にむやみに奔走して医薬を勉強することをしないと論じていまして、後半は医者が勉強せず診察が疎漏であることを批判しています。したがって対応があるので全体として一つの文章であると主張する方が、多紀先生や喜多村先生たちです。

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