石野尚吾 北里研究所附属東洋医学総合研究所診療部門長 (日本東洋医学会常務理事)
更年期とは
本日は更年期障害と血の道についてお話しいたします 。日本産婦人科学 会は「更年期とは生殖期と非生殖期の聞の移行期をいい,卵巣機能が衰退し 始め,消失する時期に当たる」と更年期を定義しました 。更年という 言葉は 元来わが国のものではなく,明治時代に西洋医学が輸入され,当時の学者 が日本語の更年期という言葉を当てはめたのです。新造語なので,更年期 という語は「大漢和辞典』には出ていませんが,更年の更は替える,替わる, 改まる,取り替えるなどの意味があります。ですから更年とは,年が変わる,改まる,取り替わるになります。英語の climacteric の原義は階段の 検棒のことであり,climacteric には更年期のほかに,厄年,転機,危機な どの意味があります。類似語としましては climax(階段を昇り詰める) , climb(登る)があります。この解釈でいきますと ,更年とは年が変わり,何 か転機となるようなことなのでしょうか。
女性の責任である妊娠 ,分娩,育児の期間も終わり,子供も立派に成長し,これから安寧な人生,老年期への移行期が更年期です。ですから,この時期はこれから幸せな人生を送ろうという,幸せという字を当てはめた 幸年の方がよいのではないかという人もおります。
更年期という 言葉そのものがなかったわけですから考え方もなかったかというとそうではありません。東洋医学の古典 『素問』の上古天真論では, 男女の一生を通じての生理的な変化を簡明に述べています。女子に関して は,「女子は七才にして腎気盛んとなり,歯更り髪長し。二七にして天癸至 り,任脈通じ,太衝の脈盛んとなり,月事もって時に下る。故に子あり。三七にして腎気平均す。故に真牙が生じ,長極まる。四七にして筋骨竪く, 髪の長極まり,身体盛壮なり。五七にして陽明の脈衰え,面始めて焦れ, 髪始めて堕つ。六七にして三腸の脈上に衰え,面皆焦れ ,髪始めて白し。 七七にして任脈虚し,太衡の脈衰少し,天癸尽き,地道通ぜず,故に形壊え子なきなり」とあります。これを要約しますと,七の倍数でその節目をとらえています。 7 歳でそ ろそろ内分泌系の働きが始まり, 14歳で月経が始まる。21-28歳が女性としての最盛期であり,49歳で閉経すると説明しています。このくらいの年齢を現在は更年期とい っています。
更年期障害の発症時期と症状
更年期とは,誰もが加齢とともに通過する時期です。しかしすべての人 がこの時期におかしくなるとは限りません。おかしくなった場合が更年期障害です。わが国では大体42歳前後から55歳ごろまでに閉経し,平均49-50歳となっています。ライフサイクルからみて,閉経前 5 -10年,閉経後 5 年を更年期の期間としている説もあります。閉経前後のこの時期をすべて の女性が通過します。この時期は卵巣の働きが低下し,内分泌系に変調をきたして,自律神経系にアンバランスが起きます 。この時期が更年期ですが、しかし皆に更年期障害の症状が出るとは限りません。様々な不定愁訴 が起こり,この症状が悪化し,たびたび検査をしてみても,それに見合う だけの器質的な異常が認められない場合色更年期障害と呼んでいます。 主な症状は数十種類にも及びます。血管運動神経症状としてののぼせ, 寒気,熱感,冷え症,心惨亢進など,精神神経症状としての頭痛,眩暈,不眠,不安感,恐怖感,耳鳴り,憂うつなど,運動器官症状としての肩凝 り,腰痛,関節痛,筋肉痛など,知覚系症状としてしびれ感,知覚敏感, 掻痒感,蟻走感,昧覚異常などがあります 。また泌尿器系の症状としては 頻尿,排尿痛など,消化器系症状としては悪心,嘔吐,食欲不振,便秘, 腹痛,下痢,腹部膨満感などがあり,皮膚分泌症状としては発汗異常,口内乾燥感などがあり,そのほかに疲労感,あくびなどがあります 。
実地臨床的には,閉経するともう老人になってしまったのだという精神的な打撃を受け,さらに夫の定年や子供が成長し手がかからなくなり, 張り詰めていた気持ちにポッカリ穴があきます。いわゆる“空の巣症候群" となります。身体的にも精神的にも様々な環境変化が起こり,それにより腰や肩が痛くなったり,いらいらが強くなり,胸から顔にかけての一過性ののぼせやほてり,発汗,いわゆる hot flash や,倦怠感,不眠,不安感, 動悸などの不快な症状が ,2 つ 3 つ同時に,日替わりメニューの よ うに次 から次へと現れます 。そしてこれらの症状はお互いに関連性が少なく,いろいろ検査をしてみても ,とくにその愁訴に見合うだけの器質的変化がないのが特徴です。
血の道症と更年期障害の違い
次に血の道症ですが,わが国では約250年前から「血の道」という言葉があ ります。『養生弁』という江戸時代の本には「血の道とは日本の詞にして漢土になき病名なり。経行の血の道筋の変によ り病となり,千変万化に悩ま すなり」 とあります。また『類聚方広義』の柴胡桂枝湯の頭註に 「婦人故なくして,憎寒し,壮熱あり,頭痛眩暈,心下痞硬、嘔吐悪心,支体酸輭し, 或いは𤸷痺,鬱々として人に対するを悪み,或いは頻々欠伸するものは,俗に血の道という」とあります。昭和29年,九嶋勝司教授は血の道症を「婦人にみられる更年期障害類似の自律神経症候群」と定義しました。
血の道症と更年期障害とを同ーのものと思っている方がおられますが, そうではありません 。思春期に起こる血管運動神経障害症状,月経前緊張症,妊娠初期には悪阻,流産後や産後に起こる諸症状,成熟女性の卵巣機能の急激な廃絶による欠落症状なども血の道症です 。更年期になれば更年期障害としての血の道症が起こります。更年期を過ぎた老年期にも血の道症は起こります。
血の道症の本態は,内分泌系の不均衡に心因性 すなわち精神葛藤などが相乗されたものでしょう 。血の道症とは,思春期以後のすべての年齢層に認められ,月経,妊娠,流産,人工妊娠中絶,分娩,産褥,更年期など に伴い発症するもので,精神神経的症状で,自覚的,精神的なものとされています。ただし頻度においても ,症状の強さにおいても ,更年期に起こる症状が,ほかの時期に起こるよりも数段強いようであります。したがって今回は,更年期障害の漢方治療について述べます 。
更年期障害の漢方療法
漢方医学では,間の生命は消化器系,呼吸器系から取り入れた五味, 五気により養われると考えられ,その五味,五気は人体を構成する基本的な物質としています 。それらが気,血,水となり,この3つがうまく調和 して正常な生命現象を保つと考えています。この調和が崩れた時に疾病と なり,その病因として大局を陰・陽・虚・実として把握し,細部を細かく 観察し,気,血,水の変化を分析して,全体の部分の連なりに 1つの系統 を見出します。また疾病を考える時,体と心を分離せずに,心身一如の考え,心身一元論の立場で診断し,治療を行います。更年期障害の治療に対しでもこのような病理観が根底にあり,気,血、水の不調和により発症すると考えております 。すなわち病態を全身的,総合的に把握し,全身症状を好転させることにより,局所的な愁訴をも取り除くという方法をとります。日常診療において,更年期障害の漢方療法は 高い評価を受けており,漢方が最も得意とする領域の 1つであります。古 くから多くの先人の優れた口訣が残されており,現代医学的治療のホルモ ン療法,精神安定剤投与などに比べて,副作用の出現頻度がきわめて少ないことは特筆に値します 。それでは更年期障害によく用いられる処方について申し上げます 。時間の関係で,すべての処方についてご説明はむずかしいと思いますので,松 田・稲木の表を参考として掲げておきます 。
虚証に対する頻用処方
まず虚証の場合,更年期障害は 一般に虚証の人が多いようでありますが, 更年期障害によく用いられる漢方処方は加味逍遥散で,虚証に対する典型的な処方です。当帰,芍薬,白朮,茯苓,柴胡,甘草,牡丹皮、梔子、乾生姜、薄荷の 10種類の生薬からなる処方です。本方の出典についてはいろいろな説があり, 『和剤局方』の逍遥散に牡丹皮と梔子を加えたものです 。この加味を行ったのは「校注婦人良方」 (宋の陳自明の著,明の薛己の校注)、「女科撮要」「内科摘要」 (ともに薛己の著),また「済世全書」(明の龔廷賢の著)などの説があります。この中で陳自明が最も古いのですが,陳自明の 「婦人良方』の校注本以外には加味逍遥散 は記載されておらず,現時点では薛己が加味したものと考えてよいでしょう。本方は『校注婦人良方」瘡瘍門,婦人結核方論に記載され,その条文は「肝脾血虚し,熱あり,遍身掻痒し,或いは口燥咽乾し,発熱盗汗し,食少なく,臥を嗜み,小便渋滞などの証を治す。また瘰瀝流注,虚熱などの瘡を治す」とあります。では,どのような病状に用いるのでしょうか 。この処方は,本カ中等度 からやや弱い人を目標に用い,とくに虚証の女性に用いることが多いようです。腹部は,軽度の胸脇苦満と下腹部の圧痛,胃内停水を認めるものが 代表的であります 。
本方の応用として,内向的な 性格でいらいらが強く, 訴えは精神神経症状が主で,訴える症状が次々に変化することも 1つの特徴であり,足がほてる,頭重, 眩暈,肩凝り,不眠などとりとめのないものが典型的であります。加味逍遥散は駆瘀血作用もありますので,数カ月連用していますと,皮膚の光沢がよくなり,心身ともに健康になった印象を与えます。また同じ虚証に用いられる処方で,加味逍遥散の適応する人と対照的な性格の人によく用いられる処方は抑肝散であります。
抑肝散は, 当帰,釣藤,川芎,茯苓,白朮、柴胡,甘草の 7 種の生薬からなる処方です。出典 は「保嬰撮要」 (薛己著)で,その条文は「肝経の虚熱,発播或いは発熱咬牙,或いは驚悸寒熱,或いは木土に乗じて痰涎を嘔吐し,腹膨少食,睡臥安らかならざるものを治す」とあります 。ではどのような病状に用いるのでしょうか。腹部は腹直筋の攣急があり,臍の周りに動悸を感じます 。大塚敬節は本方の腹証について「腹直筋拘攣がある緊張興奮型と,腹弛緩,腹直筋拘攣はわずかしかなく,臍動悸亢進の強い弛緩沈欝型の 2 種類がある 」と述べています。気分のいらいらが強くて怒りっぽく, しばしば他人に攻撃的な態度をと ります。一般に癇が強いといわれている状態で ,体力が中等度から,あまりない人の場合に用い,精神症状として,短気,いらいらして怒りっぽい, 落ち着きがない,うつ状態などがあります 。
自覚症状として,頭痛,眼痛, 頚項部の凝り,眼瞼や顔のひきつれや痙攣,四肢のしびれ,筋肉の攣縮, 不眠,倦怠感,動悸などがあり,これらを目標に用います。本方には非常に多くの加減方があり,抑肝散加芍薬,抑肝散加羚羊角、抑肝散加陳皮半夏,抑肝散加芍薬黄連,抑肝散加芍薬芍薬厚朴などがそれであります。このうち有名なのは抑肝散加陳皮半夏であります 。これは抑肝散証がさらに虚した人によく用います 。桂枝加竜骨牡蠣湯もよく用いられます 。桂枝,芍薬,大棗、生姜、甘草、竜骨、牡蠣の 7 種の生薬からなる処方です。出典は 『金匱要略』血痺虚労病篇です。その条文は「それ失精家は小腹弦急し,陰頭寒く ,目眩し,髪 落ち,脈極虚なり。芤遅なるは清穀亡血をなす。失精の脈は諸を芤動微緊 に得る。男子は失精,女子は夢交,桂枝加竜骨牡蛎湯これを 主る」とありま す。本方を用いる臨床上の使用目標として,脈証は散大でカがありません。 腹部は臍部で動悸が亢進しています 。また腹直筋緊張も亢進の傾向があり ます。一般に体質虚弱で興奮しやすく,眩暈がしたり,のぼせたり,疲れやすい人に用います。さらに性欲減退,遺精,ふけが多い,脱毛しやすい 人なども適応の対象になります。
半夏厚朴湯は半夏,茯苓,生姜,厚朴、蘇葉からなる処方です。出典は『金匱要略』婦人雑病門で,その条文は「婦人,咽中炙臠あるがごときは, 半夏厚朴湯これを主る」であります。本方は脈証は一定していません。腹証としては,心下部の痞硬,膨満, 胃内停水などが認められますが,腹力は軟弱,無力ではありません 。舌は 薄い白苔を認めることもありますが,ほとんど白苔はありません。気分が塞ぎ,喉に異物がつかえているような気がするが,実際に検査しでも何も異常がないというような時によく用いられます 。すなわち,自覚症状としては,精神神経症状である気分の憂うつ感,不安感,眩暈,頭重,用意周到な性格,たとえば自覚症状を細かく書いたメモを持ってくるとか, 1人で外出する時には常に住所や氏名を書いた札などを持参するなどの性格,また発汗,頻尿を伴う発作性の動停などがあり ます。咽喉,胸部症状としては,咽頭部あるいは胸部のつまった感じ,呼吸困難,心臓を握られる感じ,乾性の咳などであります 。消化器症状としては,心窩部のつまった感じで食欲不振,嘔気,腹部膨満感などがありま す。
半夏厚朴湯の加減方
加減方としては小半夏加茯苓湯があります。これは非常に有名で,血の道の症状の 1つである悪阻によく用いられる処方であります。これは胸から咽にうっと突き上げられてくるような嘔気のある時によく用いられます。そのほか虚証に用いられる主な処方に,苓桂朮甘湯,甘麦大棗湯,当帰芍薬散などがあります。体力中くらいから,やや弱い人の眩暈,のぼせ, 動悸,回転するような感じの体のふらつき ,足の冷えなどのある時には苓桂朮甘湯を用います。不安,不眠,興奮しやすい,ひきつけなどのヒステ リ一発作があり,頻繁にあくびをするような時には甘麦大棗湯を用います。そのほかに女性の聖薬といわれている当帰芍薬散が有効なことがしばしばあります。当帰,川芎、芍薬,茯苓,朮,沢瀉の 6 種の生薬からなって いて,これは婦人科領域で非常によく使われる処方の 1つであります。こ の処方は,顔色が悪く,冷え症のある,または冷えると症状が悪化する虚弱体質の人に使います。生理痛があったり,ふだんもおなかが痛んだり, 動悸がしたりといろいろな不定愁訴のある場合や低血圧症,無月経の時にもよく使います。
実証に対する頻用処方
実証の場合には,肩凝り,いらいら,腹部とくに李肋部に重苦しい感じ と,臍の周りに動悸があって,不眠,便秘傾向のある頑丈な人には柴胡加竜骨牡蠣湯を用います 。柴胡,半夏,茯苓,桂枝,黄芩,大棗 ,生姜,、人参、竜骨,牡蠣,乾生姜,大黄と 12の生薬からなる処方です。出典は 「傷寒論」太陽病中篇で,その条文は「傷寒八九日,これを下し,胸満煩驚,小便不利,譫語し,一身尽く重く,転側すべからざるものは柴胡加竜骨牡蛎湯これを主る」 とあります。
本方を用いる病状は,体力体質ともに充実した実証で,脈証は沈緊のものが多く,腹証は胸脇苦満と,臍傍の悸をみるものが典型的な例でありま す。本方の応用として,現在では条文にあるような熱性疾患にはほとんど用いられず,動悸,不眠,不安などの精神神経症状を呈する場合に用います。自覚的には小便不利 ,便秘の場合が多く,浮腫感を訴えることもあり ますが,他党的には浮腫は強くないようです。全体的には実証の患者で,神経質で切迫した感じの訴えの多い,慢性的な症状のある人に使用されます。そのほか実証に用いられる主な処方は黄連解毒湯です。この処方は体格 体質は中等度よりやや強く,のぽせ,顔面紅潮,興奮などの精神神経症状が強く ,不安,頭痛,耳鳴りを訴える人に用います。 桂枝茯苓丸は,当帰芍薬散とは対照的な ,もう少 しがっちりした人によく用いられます。そのほか女神散、桃核承気湯などがあ ります。
症例提示
加味逍遥散の有効例
このようないろいろな漢方薬の中で,加味逍遥散がよく効いた例を紹介いたしましょう。
46歳の主婦,主訴は数年前からのいらいら,不眠,疲れやすいです。体格は痩せ気味,腹証は軽い胸脇苦満と,瘀血としての下腹部の圧痛が認められます。月経は28日周期,5 日持続と毎月順調です。経過は,発症時から某大学病院の神経科を受診,診断は自律神経失調症といわれ,安定剤を投与されています。しかし安定剤を服用すると胃腸の具合が悪くなり, 1 日中ぽうっとして仕事になりません。安定剤に併用して加味逍遥散を投与 しました。3 カ月ぐらいから徐々に症状の改善が認められ,安定剤を中止し,その後約 1カ月過ぎには大変よくなりました。
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